人気ブログランキング | 話題のタグを見る

九月十日

菅原道真が九州の太宰府(今ちょっと話題になってる)で詠んだ漢詩。

九月十日_e0405122_19400909.jpg

九月十日

去年今夜侍清涼
秋思詩篇独断腸
恩賜御衣今在此
捧持毎日拝余香

去年の今夜 清涼に侍(じ)す
秋思(しゅうし)の詩篇 独り断腸
恩賜の御衣(ぎょい) 今此(ここ)に在(あ)り
捧持(ほうじ)して毎日 余香を拝す

(だいたいの意味)
去年の今夜 清涼殿で帝のそばに侍(はべ)っていた。
その夜詠んだ「秋思」の詩 今の自分の境遇と照らすと、とても悲しい気持ちになる。
帝から賜った衣は、今ここにある。
それを捧げ持っては毎日、焚き込められた残り香に、昔を偲んでいる。


昌泰3年(901)9月10日、右大臣菅原道真は御所で重陽の翌日の宴に連なり、醍醐天皇のそばに侍っていた。
その夜道真が詠んだ「秋思」の詩を帝は大いに気に入り、褒美に衣を賜った。
翌年、道真は突如大宰府に左遷される。対立していた左大臣藤原時平の謀略によるものといわれている。
従来からの有力貴族の藤原氏としては、新興勢力として台頭し、右大臣まで昇進した道真は目障りな存在だったらしい。

延喜元年(901)9月10日、大宰府で詠んだのが、この七言絶句である。
翌延喜2年2月、失意のうちに現地で病没する。59歳。

その後、道真の失脚に関与した人物が相次いで不審な死を遂げる。延喜9年、藤原時平が病死する。
都では疫病が流行し、天変地異が相次ぐ。930年には清涼殿に落雷があり、多数の死傷者が出るに及んで、道真の祟りを鎮めるため、天神として祀ることとなる。これが北野天満宮である。


Commented by ian185-illust at 2019-09-12 13:57
こんにちは。 いつも「イイネ」を付けて頂き、ありがとうございます。
私の石膏像の「彼」を鉛筆画で描こうと、よく見てみますと・・・。
お顔は、きりりと素敵なんですが、甲冑がなんとも「百円ショップ」だけあって、ガサツなつくりでした。
「彼」にこの甲冑を描き込むのは、気が引けて、石膏像の鉛筆画はやめて、別のものを描きました。
何度も、描いたり消したり、「鉛筆画」を楽しみました。
きっかけを作って頂いた、wildesauさんに感謝致します。
これからも、よろしくお願いいたします。


Commented by nicomachus at 2019-09-12 19:19
鉛筆画のイラスト拝見しました。素晴らしいです。目の表現、女の子の生き生きした表情など、よく捉えられています。さぞ工夫されたことと思います。人物画はやはり、生きた人間を表現することに尽きますね。
石膏像を描くというのは、どうしても何か「修行」(それも大事なことなのですが)をしている感じがします。
ianさんの新たなジャンルへのチャレンジ、とても素敵です。今後も新しい作品を楽しみにしています。
by nicomachus | 2019-09-10 19:43 | 文学 | Comments(2)

昏るるに未だ遠し


by nicomachus